· 

Einsteinのノーベル賞と、陰に隠れたブラウン運動の理論的説明

 1921年,(Einstein\)がノーベル賞を受賞した。\(Einstein\)は1905年に「特殊相対性理論」,1915年と1916年には,さらに「一般相対性理論」を提唱した。

 

 これらの理論は,近代の物理学の根幹をなしていた\(Newton\)の力学理論と,\(Maxwell\)の電磁気学理論を根底から覆し再構築する理論であり,物理学の第3の根幹となる理論を提唱したとして,誰もが\(Einstein\)のノーベル賞を確実視していた。

 

 ところが意外にも,\(Einstein\)のノーベル賞の受賞理由は「光電効果の理論的説明」に関することであった。これは太陽光パネルの原理のスタートになる理論で,金属板に光を当てるとなぜ電流が流れるか,という謎を解決したものである。確かにノーベル賞の目指す「人類に利益をもたらす科学的発見」なのかもしれないが,相対性理論には及ばないような気もする。

 

 当時,第一次世界大戦が終戦して間もない頃で,まだ\(Einstein\)らユダヤ人へ向けられる世界の目は厳しかった。たとえ世界が認める科学者であっても,ユダヤ人の一人であるというだけで,授賞の是非が議論された。

 

 結果的にノーベル委員会は授賞することに決めたが,その内容としては相対性理論を避けた形となった。ノーベル委員会は,ドイツが敵視する民族に賞を与えるのか,それともスウェーデンがドイツから制裁を受けないようにするために授賞をとりやめるのか,さぞかし議論に議論を重ねたことだろう。\(Einstein\)は,その全ての過程を知っていたのか,受賞者スピーチでは臆することなく相対性理論について語ったという。

 

 また,ノーベル賞を受賞する少し前の1919年,\(Einstein\)は妻ミレーバと離婚している。離婚調停の際に,慰謝料はノーベル賞の賞金によって支払うと提示したが,\(Einstein\)はもちろんのこと,前妻ミレーバも,調停に関わった裁判官も,関係者の多数が\(Einstein\)のノーベル賞受賞を確実視していたため,このような絵空事のような案であっても正式な調停として認められている。

 

 この\(Einstein\)の輝かしい業績の中に埋もれてしまっている,(\(Einstein\)からすれば)ささやかな発見の一つに「ブラウン運動の理論的説明」(1905)がある。

 実は,物質が原子からなることの理論的実証が\(Einstein\)によってなされるまでの数百年間は「原子」は理論上の産物にすぎず,\(Einstein\)によって初めて「原子」が物体として実在する存在であることが判明したのであった。