核分裂の発見
質量数の大きい原子核が2個以上の小さい原子核に分裂することを「核分裂」といいます。
分裂に伴う質量欠損によって、核エネルギーが放出されます。
核分裂は、1938年、ハーンとシュトラスマンによって発見されました。ウラン235といわれる、\(^{235}_{92}U\)に中性子を衝突させると、原子核が分裂して、質量数が\(140\)前後の大きめの原子核と、質量数が\(95\)前後の小さめの原子核に分かれることを発見しました。
おまんじゅうを手でつかんで半分にちぎるときの様子をイメージしてみてください。およそ二つが半々にはなりますが、もう一度別のおまんじゅうを半分にしてみると、同じ半々ができあがるとは限りません。一つの大きなものを半分に分けたときに必ずしも毎回同じ半々が手に入るかと言われたら、それは絶対のルールではないはずです。
核分裂のときも同じで、ウラン\(235\)は質量数が\(235\)なので、陽子と中性子の数の合計が\(235\)個ということですが、核分裂したあとに、これがいつでも必ず同じ分かれ方になるというルールはありません。なので、いろんな分裂のパターンがあります。
一例として、
\(^1_0n + ^{235}_{92}U \rightarrow ^{92}_{36}Kr + ^{141}_{56}Ba + 3^1_0n\)
\(^1_0n + ^{235}_{92}U \rightarrow ^{94}_{38}Sr + ^{140}_{54}Xe + 2^1_0n\)
\(^1_0n + ^{235}_{92}U \rightarrow ^{97}_{37}Rb + ^{137}_{55}Cs + 2^1_0n\)
といった分かれ方が起こっているのが確認されています。
このとき、核分裂によって生成された核種のことを「核分裂生成物」とか「核分裂片」というように呼びます。
この破片はきれいに二等分されてできる核種だと不安定なので、分裂の途中で、より安定な核種になろうとバランスをとった結果、ウラン\(235\)の場合であれば、およそ質量数\(140\)前後の各種と\(95\)前後の核種に分裂することが知られるようになりました。
連鎖反応
ハーンとシュトラスマンは、核分裂の原理にたどり着いたあと、とても素直な疑問から予測を立てました。
中性子を大きい原子核に衝突させると、核分裂が起こる。ところが核分裂をすると中性子が飛び出す。すると、この中性子がまた隣の原子核に衝突するとまた核分裂が起こるので、核分裂の反応は連鎖的に起こるのではないか、という予測です。
その実験的証明は、少しあとの1942年に成功しました。1942年、フェルミは核分裂の連鎖反応の実験に成功し、理論的に考えられていた現象は実際に起こすことが可能だということを示しました。
ウラン\(235\)の核分裂の場合であれば、1回の核分裂が起こるごとにおよそ\(200MeV\)の核エネルギーが放出されます。なので、連鎖反応が急激に起これば莫大な核エネルギーを一度に開放することになり、このエネルギーの大半は熱エネルギーに変換されますので、反応熱がとても大きなものになります。
こうして開発された軍需物資が「原子爆弾」です。広島型原爆にはウランが使われ、長崎型原爆にはプルトニウムが使われ、それぞれ連鎖反応の特性と、必要な物質量や核分裂させるための仕組みが違いますので、異なる2種類の爆弾を作り、そのもたらす結果の違いを比較したといわれています。
原子力発電
ウランを核分裂させると、原理的にどうしても連鎖反応が起きてしまいます。核分裂するごとに飛び出す中性子の数が倍々のペースで増えていきますので、何も手立てを講じないと原子爆弾のようなエネルギー放出しかできないことになってしまいます。
そこで、中性子は吸収するけれども核分裂は起こさない、という程度の物質をウランの近くに置いておきます。するとウランの連鎖反応に歯止めがかからなくなるほどの中性子がただようことがなく、穏やかに連鎖反応が続いていきます。この制御方法と平和的な利用が開発されたのが、戦後1950年代に入ってからになります。
こうして得た核エネルギーを使って水を沸騰させ、蒸気でタービンを回すことで発電する仕組みを「原子力発電」といいます。核分裂という怪物の制御ができなかった1940年代には爆弾として利用するしか用途がなかったわけですが、1950年代になると人類の手の内に制御可能な技術が回ってきて、平和裏に核エネルギーを利用できるようになったという歴史的な流れです。