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原子4 ミリカンの実験

トムソンの電気素量研究(1898)

 陰極線の正体が、質量を持った負の電荷であり、粒子であるということが分かると、科学者たちが次に気になるのは、この電子が持つ電気量がいったいどのくらいで、質量はいかほどのものなのか、ということです。

 

 これを研究するために、陰極線を研究していたトムソンは引き続き、電子についての研究を進めました。トムソンは水蒸気を電離させて、その水蒸気に流れる電流の大きさと水蒸気の質量から電子の電気量を決定しようとしましたが、まだ実験の精度は粗く、はっきりと特定された数値として認識するには少し無理があったように思います。

 

 またトムソンは、原子は実は分割可能な存在であったということに着目して、飛び出した電子の電荷が負なら、原子本体は正の電気を帯びているはずだと提唱しました。それも、電子が飛び出す前の原子は電気的に中性ですので、原子全体がうっすらと正に帯電していて、その中に負の粒子がプラムプディングのように存在しているとしました。

 

 これを「プラムプディングモデル」といいます。トムソンは電子そのものに着眼点を凝縮したわけではなく、ひろく原子の構造そのものについて研究を進めていたということですね。

 

 

ウィルソンの霧箱とトムソンの着眼点

 トムソンが実験を進めるにあたって、実は背後から協力体制にあった科学者がいます。チャールズ・ウィルソンです。

 

 ウィルソンは気象学の研究者で、大気の断熱膨張によって雲がどのようにできるかの実験装置を開発していました。水蒸気から雲や霧を作ると必ず不純物としてチリが含まれているため、純粋な水がどのようなふるまいをするかを研究するには邪魔でした。そこで、飽和水蒸気量の実に4倍を超える水蒸気量を箱に詰め込んでみると、なんと凝結核なしで水蒸気が水滴になることが判明しました。

 

 純粋な水のみで作られたきれいな霧を作ることに成功したウィルソンは、この霧を使って様々な研究をしようと試みていたわけです。飽和水蒸気にX線を照射してみると、X線が通過した部分の霧が濃くなりました。これは、空気が電離して水滴を集めるためだと考えられました。この水蒸気を詰める箱を「霧箱」と呼ぶことにしました。

 

 トムソンはこの「霧箱」の実験に着目して、電離した空気に電流を流せば電気的な特性の詳細が何か判明するのではないだろうかと考えました。電子の研究をするのに、気象の研究者の開発がつながりを見せたんですね。

 

 

タウンゼントとウィルソンの電気素量研究(1903)

 このウィルソンの「霧箱」は実験装置として非常に優秀でしたので、タウンゼントも同時期「霧箱」に注目しました。

 

 タウンゼントは空気の方ではなく、水滴の方に着目しました。水滴が集まるということは、静電気の原理のようにその表面にいくつかの電子が貼りつき、全体として負に帯電した水滴ができるからだとタウンゼントは考えました。

 

 帯電した水滴を落下させ、そこに落下方向と逆向きの電場をかけることで水滴を上に吸い寄せることで、電気的な特性を調べたわけです。この実験は、水滴が移動する中で水が蒸発してしまうので、結果論としては誤差が大きい測定となってしまったわけですが、実験原理は非常に優秀で、のちにミリカンによって改良され、この実験はより精度の高いものへと生まれ変わっていきました。

 

 

ミリカンの実験(1909)

 タウンゼントの実験では、霧箱に噴射するものが水滴であったために、水が蒸発してしまって実験の誤差が大きくなってしまいました。そこでミリカンは水滴を噴射するのをやめて、油滴を用いることにしました。

 

 これによって液滴の蒸発による誤差問題が格段に解消され、実験の精度は大幅に向上しました。

[step1]

 まず霧箱の中に油滴を噴射します。すると、油滴は自由落下します。

 

 ただ、油滴は非常に小さいので、すぐに終端速度に到達して、等速度で落下します。

 

 このときの終端速度を\(v_0\)とすると、力のつり合いから、

 

 \(kv_0=mg\)

 

 \(v_0=\displaystyle\frac{mg}{k}\)

 

となります。

 

 

[step2]

 次に霧箱の中にX線を照射します。すると霧箱の中の空気が電離して、その空気と接した油滴が負に帯電します。

 

 この状態で霧箱の上下に電場をかけます。上板が+極になるように電場をかけたとすると、帯電した油滴はUターンして上に運動し始め、そしてすぐに終端速度に到達して、等速度で上昇します。

 

 このときの終端速度を\(v\)とすると、力のつり合いから、

 

 \(qE=mg+kv\)

 

となりますが、重力\(mg\)の大きさは[step1]の実験結果から\(kv_0\)と等しいので、書き換えることができて、

 

 \(qE=kv_0+kv\)

 

となります。さらに変形すると、

 

 \(q=\displaystyle\frac{k(v_0+v)}{E}\)

 

と式を整えることができて、油滴にどのくらいの電気量が帯電しているかを求めることができます。

 

 油滴を噴射した時点では、油滴の一粒一粒の質量\(m\)は測定できません。ですが、油滴の終端速度はゆっくりですので、\(v_0\)と\(v\)は測定ができます。比例定数\(k\)は、高校範囲では習いませんが、\(k=6\pi r \eta\)というように表すことができて、油滴の半径と粘性率\(\eta\)から求めることができます。

 

 ところが油滴の半径\(r\)は、質量と同じく一つ一つを測定することが難しいです。そこで、さらに油滴にはたらく浮力の式を入れ込むと、半径\(r\)は式から消えてくれますので、\(k\)の部分も実験によって求められる値と言ってよいでしょう。

 

 電場\(E\)は、霧箱にかける電場が一様になるように調整して、\(V=Ed\)の式を適用すれば、これも導出できそうですね。

 

 結局、\(q=\displaystyle\frac{k(v_0+v)}{E}\) が求まっていれば、油滴の帯電量が分かるという理屈になるわけですね。

 

 

ミリカンの実験の分析

 帯電した油滴の帯電量を調べてみると、その値がとびとびの値を示すことが判明しました。

 

例えば、

 

 \(1.57×10^{-19}\)[C] \(1.59×10^{-19}\)[C] \(1.61×10^{-19}\)[C] \(1.63×10^{-19}\)[C]

 \(3.18×10^{-19}\)[C] \(3.20×10^{-19}\)[C] \(3.20×10^{-19}\)[C] \(3.22×10^{-19}\)[C]

 \(4.74×10^{-19}\)[C] \(4.79×10^{-19}\)[C] \(4.81×10^{-19}\)[C] \(4.86×10^{-19}\)[C]

 \(6.38×10^{-19}\)[C] \(6.39×10^{-19}\)[C] \(6.41×10^{-19}\)[C] \(6.42×10^{-19}\)[C]

 \(7.95×10^{-19}\)[C] \(7.97×10^{-19}\)[C] \(8.03×10^{-19}\)[C] \(8.05×10^{-19}\)[C]

 

といったような感じです。実験は、ミリカン一人ではなく、ミリカンの研究室にいた大学院生とともに数多くの測定を行っていたため、得られた実験値はたくさんあります。

 

 細かい計算の追いかけ方法は今は触れないとして、ざっくりとだけお話しますね。

 

 これらの結果を見て、

 \(1.6×10^{-19}\)[C] \(3.2×10^{-19}\)[C] \(4.8×10^{-19}\)[C] \(6.4×10^{-19}\)[C] \(8.0×10^{-19}\)[C]

 となっている、これは値が\(1.6×10^{-19}\)間隔になっているぞ、と気づいたわけです。

 

 \(1.6×10^{-19}\)[C] のものは、油滴に電子が一粒ついているもの

 \(3.2×10^{-19}\)[C] のものは、油滴に電子が二粒ついているもの

 \(4.8×10^{-19}\)[C] のものは、油滴に電子が三粒ついているもの

 

というように類推して電子一粒あたりの電気量は \(1.6×10^{-19}\)[C] であると結論づけました。

 

それまで電気量は連続的な数値と思われていましたが、電子が粒であり、電子が持つ電気量が自動的に電気量の最小値となるので、この量を電気素量と呼ぶことにしました。

 

電気素量が求まったことで、トムソンの比電荷実験から、電子の質量も逆算的に求まり、これで陰極線研究の頃から謎であった電子の質量と電気量がともに求まるに至りました。

 

 

▼電気素量

 \(e=1.602×10^{-19}\) [C]

 

▼電子の質量

 \(m_e=9.109×10^{-31}\) [kg]